「弁論家について(下)」(キケロー)

弁論家について (下)岩波文庫の新刊「弁論家について(下)」(キケロー)を読みました。
本巻ではまず,弁論術における「ユーモア」についての対話があります。気の利いた言い回しや,引用法など,興味深い話はあるのですが,そもそもギリシャ語の例文を引いてきているわけですから,日本語訳で読んでもピンとこないのは致し方ないところ。
続いて,適切な構文,リズム,比喩など,実践的な弁論術の講義となります。よくよく読めば,至極もっともなことを言っているな,と思えるところもあるのですが,なんといっても難関は,日本語訳の難しさで,
『このとき,この上ない賢者ならみなそうであるのをしばしばわたしはこの目で見て知っているように,クラッススもまた,常よりは入念な準備をした上で何かを語れば,かならずと言っていいほど,かつてこれ以上見事な弁論を行ったことがないという印象を与えずにはおかなかった人であったとはいえ,当時万人の一致して評価したところ,他のすべての人を常に凌駕してきたそのクラッススが,あの日は,自身で自身を凌駕したと思われる,それほどの見事な弁論を行ったということであった。』
私の頭が悪いんでしょうが,こういう文章が延々と続くので些か参りました。