メーテルリンクの"青い鳥"

 

幸せの青い鳥を求めて,チルチルが「思いでの郷」や「夜の宮」,「歓びの城」をたずねて廻る美しい詩のような名作,夢のようなまどやかな作品。1908年作。

岩波文庫にはメーテルリンクより翻訳を許された若月紫蘭氏の訳により,1929年に収録。1939年に改訳。赤帯フランス文学としてしばらく絶版になっていましたが,先頃復刊。現在は,また絶版。写真はいまより縦長の判型だった戦前版です。

メーテルリンクについて

モーリス・メーテルリンクは1862年,ベルギーのゲントに生まれ,最初両親の希望によって法律を学び,学校卒業後,しばらく法律家として立っていたのでしたが,1886年パリに行ってから文学者の仲間入りをなし,霊的詩的神秘的方面に興味を持っていたのです。1889年,父の死にあってベルギーに帰って,詩集「セレ・ショード」と戯曲「マレーヌ王女」とを公にすると,ベルギーのシェークスピアだと評せられたのでした。

その後67年間,ベルギーにあって創作に従事していたのですが,1896年ベルギーを出てからは再び帰国せず,爾来,「知恵と運命」「貧者の寶」「埋もれた寺院」「蜜蜂の生活」等の哲学的論文を公にし,益々その名を高くしたのでした。

「青い鳥」はメーテルリンクの作品中もっとも広く知られており,今日ではほとんど世界の各国語に翻訳され,映画にまでされて,日本でも映写されたことがあります。映画ばかりでなく,日本で2回も上演されたこともあり,相当知られている作品です。

この作の面白いところは,子供が主人公である上に,見て美しくもあって,子供にもわかるように書かれているいるという点と,熟読すれば哲学的の疑問も,高遠なる論理にも充満していて,比較的でもあり象徴的でも神秘的でもあるという点にあるのです。

一体「人間はどこから来るのか」,「どこへゆくのか」,「死とはなんぞや」,「幸福とはなんぞや」,これらはこの戯曲の提供する最も大きな問題なのですが,また何人も容易に答えられない哲学的神秘的の大きな問題でもあるはずです。

これに対して,作者はいちいち明晰な回答を与えてはいませんが,「青い鳥」を象徴していると思われる「幸福」の如きに対しては,それが「無我愛」,「犠牲」そのものであることを説いているように思われ,子供にとっての最大の幸福は我が家であり,母の愛であることを教えているようです。(1939年改訳版紫蘭氏の序による)

「青い鳥」は子供の頃,絵本や童話集などで愛読し,印象の強い作品でした。今回,あらためて読み返してみて,訳者の紫蘭氏が本書をたいへん巧くまとめられていたので上記の通り,転載いたしました。岩波にはぜひ復刊を望みたいところです。