アテネ文庫創刊の頃

「京古本や往来84号」にアテネ文庫創刊の頃と題し,弘文堂編集部で「アテネ文庫」の創刊に関わった淡交社相談役・臼井史朗さんのインタビューが掲載されています。それによると,
弘文堂は明治31年創業の京都の出版社で,京都学派といわれる先生方の著作をはじめ,西洋哲学,中国学の名著を出版していたが,昭和21年に公職追放で京都学派の先生方が職を失ってしまったので,苦しいときに何か企画して出版をしなければということになった。
「アテネ文庫」は粗悪な紙に印刷されているし,それも64頁と薄冊だが,64頁というのは,1枚の紙を折ると出来る。紙一枚刷って表紙をつけたのが「アテネ文庫」で,紙は闇屋へ買い付けに行った。昭和21~22年ころは,出版は大変儲かる事業で,いろんな人が出版社を興してました。活字に対する飢餓状態だった。しかし,粗悪な出版物ばかりがはびこって,これではいかんという企画が「アテネ文庫」でもあった。
アテネ文庫の総目録の1951年版と52年版があるが,『夕鶴』だけが52年版では絶版になっている。それは,昭和21年の公職追放で職を追われていた八坂社長に代わって西谷能雄氏が中心に運営がなされていたわけだが,昭和25年に公職追放が解けて社長が帰ってくると,いろいろな確執があって,西谷氏は木下順二『夕鶴』を持って出て未来社を創った。私はその年の夏にアメリカに渡るため弘文堂をやめてしまったので詳しくはわからないが,かなりな争いが社内にあったようだ。

コメント

  1. アテネ文庫

     アテネ文庫をご存知だろうか。古本屋でたまに見つけることが出来る、薄くて古い文庫本だ。そしてこの文庫の何が目を引くかと言えば、やはり表紙に刷られた模様だろう。これがな

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