発禁となった岩波文庫

(公開資料 日本労働年鑑 特集版 太平洋戦争下の労働運動による)

1938年2月に岩波書店は「岩波文庫」の白帯(社会科学部門)、とくにマルクス主義のものを「自発的に」絶版にせよとの命令を受けた。

そのうち、「今後の増刷を見合わせる分」としては、マルクスの「猶太人問題を論ず」「資本論初版抄」「賃銀・価格および利潤」「賃労働と資本」「哲学の貧困」、エンゲルスの「住宅問題」「自然辯証法」「反デューリング論」「原始基督教」、両者共著の「フォイエルバツハ論」「芸術論」「ドイッチェ・イデオロギー」、レーニンの「唯物論と経験批判論」「ロシアに於ける資本主義の発展」、カウツキーの「基督教の成立」「資本論解説」、ルイゼ・カウツキーの「ローザ・ルクセンブルグの手紙」、ローザ・ルクセンブルグの「経済学入門」「資本蓄積論」、リヤザノフの「マルクス・エンゲルス伝」等があり、また刷本があっても増製本を見合わせる分としては、マルクスの「フランスに於ける内乱」、エンゲルスの「家族・私有財産及び国家の起源」「空想より科学へ」、レーニンの「帝国主義」「何を為すべきか」「カール・マルクス」「ゴオリキーヘの手紙」等があった。

この時はまだ発売禁止処分ではなかったが、40年9月には発禁を命ぜられ、紙型も押収されて正式に処分を執行された。なお文学ものについては、前年秋にジイドの「ソヴエト旅行記」が削除を、38年2月には田山花袋の「蒲団・一兵卒」が軍人侮辱の理由で、つづいて「アミエルの日記(六)」が「日本のミカドの勅書」の字句で次版から削除を命ぜられた。

39年4月には、武者小路実篤の著作「その妹」が廃兵の問題で一部削除を命ぜられた。さらに芥川竜之介の「侏儒の言葉」が軍人侮辱のかどで次版改訂、徳富蘆花の「自然と人生」も「国家と個人」の篇が削除、フロベールの「ボヴァリー夫人」が削除および次版改訂となった。

40年1月に津田左右吉の著書の件で岩波書店主岩波茂雄は検事局に呼び出されて尋問され、2月には津田の著書「古事記及日本書紀の研究」「神代史の研究」「日本上代史研究」「上代日本の社会及び思想」の4著が発禁処分をうけ、つづいて3月に津田と岩波とは出版法第20条に該当するものとして正式に起訴に決定した。この事件は41年に21回の公判があり、42年5月に津田禁錮3ヵ月、岩波禁錮2ヵ月、いずれも執行猶予2年間の第一審判決があり44年11月の控訴審は時効により免訴となった。

40年7月には、内務省は左翼関係出版物をすべて一掃する方針をきめ、30余社の出版物130余種を発禁処分に附し、同時に出版元および新古書店を一斉検索し、発禁書の押収をおこなった。41年3月には右の大禁止処分にもれたものを追加処分し、たとえば岩波文庫では、ローザ・ルクセンブルグの「資本蓄積再論」、ソレルの「暴力論」が発禁処分となった。

→ 発売禁止ならびに削除処分となった岩波文庫一覧