法然上人絵伝

法然上人絵伝〈上〉朝起きたら24℃….暑くなってきました。4月の新刊「法然上人絵伝」について。
本書は,平安時代の終わりに浄土宗を開いた法然上人の伝記を絵巻であらわしたもの。法然上人は,1133年に岡山県の地方武士の家に生まれ,父親亡き後,その遺言で出家して都に上り,比叡山で修行しました。そして戦乱の続く時代の人々を救うためにはどうしたらよいかを考え,「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」という念仏(ねんぶつ)を唱(とな)えることによって,阿弥陀如来(あみだにょらい)に救われ,極楽(ごくらく)に生まれ変われるという浄土の教えを広めました。法然上人は,念仏の教えを嫌う人たちの圧力によって,一時讃岐国に流されましたが,そのほかはずっと京都にいて,1212年に亡くなるまで,都の貴族や民衆に浄土の教えを広めた人です。
この法然上人絵伝のように,仏教の新しい宗派を開いたお坊さんや,徳の高いお坊さんの伝記をあらわした絵巻を「高僧伝絵」と呼びます。高祖伝絵は鎌倉時代にとても多く作られました。この時代に新しく始められた宗派では,宗派を開いた宗祖に対する信仰が強く,新しく信者を獲得するためにもそのお坊さんの伝絵を作ることが重要であったのです。特に法然上人の始めた浄土宗では伝絵を作ることに熱心で,
いくつもの違った種類の法然上人絵伝があります。本書は,そのうち知恩院に伝来しているもので,その誕生から入寂に至る行状のほか,法語,消息,著述などの思想もあらわし,さらに門弟の列伝,帰依者(天皇,公家,武家)の事蹟までをも含んで48巻に構成している日本の絵巻のなかで最も巻数の多い絵巻として有名なものです。
後伏見上皇の勅命で,比叡山功徳院の舜昌法印(知恩院九世)が徳治2年(1307)から十余年をかけて制作したと伝えられています。高僧伝絵は,宗教的な意味あいから作られたものですが,現代の私たちにとっては,絵画として楽しむことができますし,また,昔のようすを知る貴重な資料にもなっています。