蔵書印


最近は,いちいち購入した本に蔵書印を押したり,識語を書き込むという人は少ないと思いますが,古書店で古い文庫本を探していると,蔵書印が押されていたり,書き込みのある本によく出会います。いまは本があふれかえってしまったためか,一冊一冊の文庫本を自分の精神的な財産,糧として愛着を感じ,蔵書印を押したり感想を書き込むということが少なくなってしまったのではないでしょうか。

一般には蔵書印や書き込みのある古書は,それがその書に関わる由緒ある印や書き込みである場合を除いて嫌われていますが,文庫本は,よい意味で”読めればよい”本なのですから,印や書き込みがあるからといって敬遠する必要はないと思っています(写真は昭和14年『春の目ざめ』への書き込み)。蔵書印はたいてい扉ページに押されており,立派に篆刻された印であったり,単なる三文判であったりします。たとえ三文判であっても,そこには単に文庫本を消耗品,読み捨ての本とのみとらえない,所有者の愛情が感じられて嬉しく思います。また,一つだけではなく,明らかに異なる複数の人により押されていることもあり,流れ流れてここまでたどり着いた,その小さな文庫本の歴史を感じることもできます。


蔵書印に関するエピソードでは,鴎外が「渋江抽斎」(岩波文庫にもあります)に興味を持った理由の一つとして,蔵印のことを書いています。鴎外は歴史小説を書くために「武鑑」を蒐集していくうちに,抽斎の蔵印のあるものに少なからず行き当たり,そのうち上野図書館蔵の「江戸鑑図目録」は渋江の稿本にして蔵印が押されてあるばかりでなく,抽斎云として考証を加えてあるのを見るや,やがて渋江氏が抽斎であったことが判明し,ようやく抽斎探求熱が燃え上がって,史伝小説をまとめ,この忘れられていた抽斎の名を世間に知らしめた,ということです(東大図書館には鴎外の手写したものがある由)。国会図書館には抽斎の蔵書が漢籍,黄表紙など26点あるそうな。

私も以前,神田の山陽堂書店で古い岩波文庫をよく買っていたときには,同じ蔵書印が押された本にいくつも出会いました。文庫本といえども,蔵書印を押したり,”熱い”書き込みがあるものを,簡単に手放すとは考えにくいので,これは本人亡き後に整理されたもの….と考えたいところです。文庫本の蔵書印で注意しなければいけないのは,判型がもともと小さいので,通常の25~30mm角の印では,やや大きすぎるということです。私の中国製の蔵書印は25mm角なので,文庫本に押すにはちょっとじゃまです(18~21mmくらいがよいようです)。本にあわせて何種類か用意できるといちばんよいですね。また文字も「・・・蔵書」のほかに何か気の利いた言い方があるかしら,と考えたときに,蔵書印・はんこ解説が参考になります。「祕笈」など愛書家の執念を感じますね。たとえ文庫本でも愛着のある本には,しっかりと蔵書印を押して,将来,子供が売り飛ばしたり捨てたりできないよう対策しておきましょう。

参考までに,国立国会図書館の電子展示会「蔵書印の世界」をご紹介。江戸時代の各藩,勝海舟や新井白石,日本一の蔵書を誇った名古屋の貸本屋大野屋惣八など,国会図書館の蔵書に現れた著名な人々の蔵書印が綺麗な写真で掲載されています。

(1998年6月17日ほか関連記事を元に改訂しました)