"アメリカの悲劇"ドライサーの「シスター・キャリー」

  アメリカ中西部の田舎からシカゴへやって来たキャリーは,華やかな都会生活の魅力にとりつかれたあげく,
妻子ある酒場の支配人とニューヨークへ駆落ちする。そこで,キャリーは女優として売出し成功するが,
男は没落し労働争議に巻込まれてゆく…。都市小説の先駆となったドライサー(1871-1945)の代表作。写真は作者。
読んでからこの写真を見ると,ちょっとイメージが違いました。もっと退廃的な感じの人かと思ったのですが….。

「シスターキャリー」の評価

「シスター・キャリー」は現在ではアメリカ文学の中で最も重要な作品と考えられています。しかし,
1900年の発表当時は450部しか売れず,ほとんど黙殺され,ついでその「新時代の女性像」をめぐって激しい論争の的となり,
1970年代になってようやく20世紀アメリカ小説の記念碑的な作品,最高のリアリズム小説と賞賛されるようになりました。
日本でも,”アメリカの悲劇”は古くから読まれていたものの,「キャリー」の訳本は入手困難でした。今回,
ようやく岩波文庫版で読めるようになったのです。

キャリーをめぐる男たち

少女キャリーは,貧しさから抜け出すために大都会シカゴにやってきますが,その都会の威力に圧倒され,打ちひしがれてしまいます。
そこを助けるのが羽振りのいいセールスマン,ドルーエ。キャリーは都会の華やかな生活を味あわせてくれるドルーエに惚れ,
一緒に暮らすようになります。

しかし,そのドルーエもしばらくするとつまらない男に見えてきて,もっと金持ちの支配人,ハーストウッドに乗り換えます。しかし,
ハーストウッドはこの浮気がばれて,彼の財産を押さえ込んでいる妻と訴訟となり,ついに強引にキャリーを連れてカナダへの逃避行。
おまけに自分の店の売上金をたんまり盗んでいき,お尋ね者に。

ふたりは世間から身を隠すようにしてニューヨークに現れますが,そもそも金の切れ目が縁の切れ目か,事業に失敗し,
しょぼくれてしまったハーストウッドから,心は離れる一方。生活も困窮の一途。そんなとき,
かつてちょっと素人芝居で評判をとったことを思いだし,ブロードウェーの端役として潜り込んだキャリーは,
トントン拍子にスターへの道をまっしぐら。

当然,もうハーストウッドのことなどはお構いなしで,すべてを失った彼は,労働争議まっただ中の鉄道会社に職を求めますが,
過酷な労働に打ちのめされます。かつてシカゴの洒落者で通っていたこの男の最期は,物乞い生活の末のガス自殺でした。

シスター・キャリー〈上〉 (岩波文庫)

キャリーの行方

この物語において,キャリーは理性よりも本能的に行動する女性ととらえられていて,ドライサーは多分にキャリーに同情的です。

「大都会が目の前にあらわれると,これまで思いもかけなかったような美しさをこの都会が差し出してくれると見て取り,本能的に,
感じたことだけを頼りにしてそれにしがみついた。すてきな身なりをして優雅な調度に取り囲まれている男たちは,満ち足りているように見えた。
・・・・求めていたのはあんなものそれ自体ではなくて,そういうものによってあらわされている意味なのだ。
時が経ってみるとはっきりしたとおり,あんな世界に何かの意味が隠れていると思ったのは間違いだった。」「だからわきまえるがいい。汝には,
満たされるということも,飽くということもない,ということを」

19世紀最後の年に書かれたこの物語。豊かな時代を目指して一直線に進みはじめたアメリカで,情熱のままに生きたキャリーが,
勝ち得た成功のあとの孤独感,閉塞感。100年が過ぎた今,我々が追い求めている「豊かな生活」は,キャリーのそれと,
どこが違うのでしょうか。そして我々はその生活に,どんな意味を見いだしたのでしょうか。「キャリー」が,現代において再評価されたわけは,
自ずと明らかなように思えます。

「キャリー」はなぜ「シスター」なのか?

これは物語を読み終わってもよくわかりません。しかし,次のような事実があります。

ドライサーは10人兄弟の下から2番目。兄弟はみんな不良でした。
兄たちは家出して芸人や流れ者になり,行方しれず。長姉は弁護士に誘惑され私生児を死産。
次姉はシカゴで酒場の出納係をしていた男に誘惑され,酒場の金を持ち逃げしたこの男とニューヨークに駆け落ちし,新聞を賑わしたりしました。
おかげでドライサーは兄弟の生活費まで稼がねばならず,一時はノイローゼで自殺しかけたこともあったようです。
シスター・キャリー」はこのの経験をもとに書かれています。