ドストエフスキー"妻への手紙"

妻への手紙 (上巻) (岩波文庫)
ドストエフスキー
岩波書店
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ドストエフスキーの「賭博者」は,ギャンブルにはまっていく人間の心理を克明に描いたもので,まさにドストエフスキーならではの作品だ。そう,ドストエフスキーはギャンブル狂だったのである。本書「妻への手紙」には,一文無しになり質草がなくなっても一発逆転を夢見てルーレット台から離れることのできない情けない自分を嘆く文面が随所に出てくる。そして手紙の最後は決まって,”愛する妻よ,どうぞ送金を急いでおくれ”….。もっとも「手紙」の相手たる二人目の妻アンナと知り合ったのも,この「賭博者」という作品が縁であった。

当時,出版社からの前借りで首が回らなくなっていたドストエフスキーは,借金返済のため大急ぎで作品を渡さねばならなかった。しかし,とうてい執筆している時間がないので,一計を案じ,かねて腹案のあった(実体験そのままですな^^;;)この「賭博者」を口述筆記でやっつけてしまうことにした。そのとき,速記者として紹介され,やってきたのが,若いアンナだったのだ。ちょうど,愛する兄や妻に先立たれて寂しい生活を送っていたドストエフスキーは,このアンナに惹かれ,1ヶ月でプロポーズ。アンナもまた,高名な敬愛すべき作家に見初められたことは満更でもなく,4ヶ月目には結婚と相成った。

しかし再婚となると,自分たちの生活が脅かされる先妻の子供や親戚が黙っていない。借金苦も相変わらずだ。そこで夫妻は,新婚生活もそこそこに,周囲のゴタゴタから逃れるべく,ドイツ,スイス,イタリアなど西欧各地に,足かけ4年にわたる旅に出た。(この間も,ルーレットで散々痛い目にあっている)

帰国後は,家族を生活費を削減するため地方へ転地させ,自分はペテルブルクに残り,毎日のようにアンナへ手紙を書き続けた。この手紙は作家の死後,夫人により整理,分類され,詳しい註もつけられていたが,公にされたのは,夫人の死後,ドストエフスキー家所蔵文書中より発見されてから以降である。

「妻への手紙」には,結婚前から晩年に至るまで,妻アンナに送った手紙162通が収められている。作家の”手紙”や”日記” には,あらかじめ作品として公にされることを意図して書かれているものもあるが,この「手紙」はまったくプライベートなもので,ドストエフスキーの生活を知る上で貴重な資料だ。

そこで,その内容だが,これはもう第一に金の話。それも賭博の反省と借金の心配。これに持病の話を加えれば,これがほとんどである。作家の精神世界を盗み見て,作品解釈の手だてにしようという人々は,いきなりコケざるを得ない。実際,岩波文庫版700ページにも及ぶ手紙が,あまりにうんざりするものばかりなので,最後まで読み通すのには,非常な根気が必要だ。ざっと拾い読みして,ああ,ドストエフスキーも日常の些事に煩わされることでは,我々と一緒だったのだ,と安心し,その作品に一層の親しみを感じるのなら,それでも充分か。

しかし注意しなければならない! 本書の中でいちばん重要な手紙はいちばん最後,すなわち1880年6月にモスクワで行われたプーシキン記念祭での自らの演説の様子を伝える13通だからだ。これはロシア文壇にとって歴史的事件であった。このとき,当時の文壇を二分していた西欧主義者ツルゲーネフと,スラブ主義者ドストエフスキーが,国民詩人プーシキン記念像の除幕式に当たって,ともに演説を行い,ドストエフスキーが聴衆より熱狂的な支持を得たのだ。手紙は,”頭が変になり,手足が震えるような”ドストエフスキーの極度の興奮ぶりを伝えている。たしかにドストエフスキーにとって,生涯最後の大事件となったここのところは,ぜひ読んでおきたい。(復刊されて間がないので,新刊書店で入手可能)