冨山房百科文庫

退屈読本 上 (1)
冨山房は,イギリスのカッセル,ドイツのレクラム,フランスのラルースなどの小型判古典文庫の刊行と相前後して,明治36年「袖珍名著文庫」を発刊し,以後大正15年に「名著文庫」新版,昭和14年に「冨山房百科文庫」を出版してきた。我が国の「文庫本」の起源については,文庫という名の付いた叢書としては袖珍名著文庫を,形態内容ともに現在の文庫本に直接つながるものとしては岩波文庫を始祖とするのが一般的なようだ。
現在の冨山房百科文庫は,戦後新しく装いを改めて刊行しているもので,三月書房のリストによると,53点中半数近くが品切れだが,ポツポツと重版はされている。
冨山房で百科文庫の編集にも携わっていた佐藤康之氏(三陸書房社主)がその辺の事情を語っている。『冨山房百科文庫は,新書判ではありますが,「新書」でなく「文庫」です。「新書」とはベクトルを異にする「文庫」であることにこだわりつづけた叢書です。・・・単に廉価版を意味する文庫が,おおかたの読者にはいよいよなじみやすくなっている現状では,「文庫」が本来持っていた古典・名著の重視という方針を貫くのは大変困難です。1977年4月に戦前の旧冨山房百科文庫の名称・判型・刊行方針の一部を継承して創刊の後,1996年6月の『周作人随筆』刊行まで,本叢書の編集に携わった者として顧みますと,この困難があればあるなりの工夫というものがあったはずで,それを摸索し,実効をあげる努力が足りなかったと,今ひとしお思われます。・・・今日の日本および日本人に課されている問題を思いますと,その問題はますます数を増し,大きく,深くなるばかりです。それだけに,文化の土台をしっかりとした落ち着いたものにすることが緊要なわけですが,古典・名著が果す役割もここにあると思います。個々人がみずからの感じること,考えることを柔軟に洗い直し,練り上げ,思い思いに確たる形をとって表現することがダイナミックにおこなわれ,それがおのずと皆と共有することになる土台の形成をもたらして,その土台とのありうべき相互作用が起るようになるには,そもそも個の内面において古典・名著が包蔵する示唆の豊かさにひとかたならず触発されてこそのことでしょう。長い時間の割に寥々たる刊行点数でまことに口幅ったい次第ですが,こうした思念のもとに当文庫の本づくりに従事し,コスト・パフォーマンスの面はよいとは言えず心残りなことながら,さきの書物ほかを読者と共有しえたのは幸いでした。』