1999年1月

1月29~31日

2月9日に,久々の岩波文庫リクエスト復刊があります。なかでも,幻住庵記や西行像讃,座右銘など100篇近くを収めた昭和15年刊「芭蕉文集」は,戦後初めての復刊とのこと。ほかにあまり目新しいものはない,とはいっても,魯庵の「社会百面相」や「サイキス・タスク」など,前回の復刊から20年以上経ったものは,手に入れにくくなっているので,ここで押さえておきたいですね。坪内逍遥,小杉天外や徳富健次郎など,明治文学のスタンダードでも,いざ読もうとすると手ごろな本がないので,これも必要。鴎外訳アンデルセン「即興詩人」,「泣菫詩抄」などの古典的な名文も味わっておきたい….ということで,欲しい本ばかりですが,みなさんはどれを買いますか?

1月28日

辞書が少々古くなってきたので,辞書売場をぶらぶらしていたら,三省堂のハイブリッド「新辞林」というのが目に付いた。ふむCDROM付きか….とめくってみると,これが国語辞書なのに横書きなんですね。しかも3段組。たしかにパソコンで使うことを考えると,横書きになってしまうのかもしれないけれど,縦書き文化というのは,もうなくなりかけているのかしら。私自身,最近縦書きで文章を書いたのは….思い出せない^^;;。

1月27日

1月の新刊で残ったのは「木下順二戯曲選(4)」。これには帯がついていて,2月に新国立劇場で本書所収の「子午線の祀り」を上演するという宣伝だ。最近,岩波文庫でも,映画や舞台とタイアップした帯がときどきあるが,発行から一ヶ月で舞台が終わってしまうのでは,読み終わって,よし行こう!と思った人にとっては,なかなか忙しい。まあ,出張販売でかなり捌けるとの読みか。もとは存命中の著者の作品は入れないといっていた岩波文庫にも,最近は内外を問わず,戦後の作品がいくつかある。それらの中でも,これは1977年の発表だから,とびきり新しい。

1月26日

柴田宵曲「俳諧博物誌」は,ルナアルの「博物誌」を引き合いに出し,動植物の「観察」という観点で俳句を集めてみたら….というエッセイ集。取り上げられているのは,鳶,龍,鯉,河童,狸,金魚,蒲公英、コスモスなど,ちょっと癖のある動植物たち。しかも,博物的収集であるから,必ずしも秀句ばかりとは限らないというのも面白い。

宵曲は散文と俳諧の観察を比較して,ルナアル的観察は俳諧においては擬人,見立と片づけられやすいとし,ルナアルの成功は散文の世界にああいう観察と,短い表現を持ち込んだ点にあるので,そこに若干の智的分子を伴うだけ,俳句のような詩では純粋な作を得難いとしている。

これを読んでいて当然考えるのは,今なら季語などで分類された俳句データベースがあるのではないか、ということ。奥本大三郎の解説では,そのことにも触れられていて,「情報を集めるのに便利なコンピュータは文学研究にはなじまない。鑑賞眼もへったくれもないセレクションは,学問的であり趣味的でないので文学的ではない」といっている。そもそもコンピュータで情報をただ分類しただけでは,文学でなくても十分学問的でありえない,と思うのだが….。

1月25日

岩波文庫新刊「水滸伝(4)」を読んでいるのですが,たまたま本棚の整理をしていて,旧版吉川幸次郎訳「水滸伝」が目に付いたので,同じ個所をめくってみました。50年前の旧訳より,やはり私には新訳の方がしっくりくるようです。この本,巻末に登場人物索引が載っているのですが,これが文字通りの索引で,登場ページ数が並んでいるだけ。物覚えの悪い私としては,簡単なプロフィールも書いてあるとありがたいのですが。

1月22~24日

「講談社が文庫を回収、絶版盗用の抗議受け」ということで,プラスアルファ文庫の日本社著「誰もが『あっ』と思いあたる間違いことばの本」の回収,絶版を決めたとのこと。同書の内容が,奥秋義信「敬語の誤典」(自由国民社刊)とそっくりで盗用と判断したため。

「間違いことばの本」は,85年に日本社から出版された「間違いことばのカンどころ読本」を改題、文庫化したものなので,講談社側の不注意,ということなのでしょう。もとの日本社版の取扱いについては,なにも言及されていませんが,こういう場合の著作権上の責任は、どのようになるのでしょうか?

1月21日

若干の危惧を持ってコンラッド「西欧人の眼に(下)」を読み始めたところ,さいわい一ヶ月のブランクにも関わらずストーリーはよく覚えていました。上巻で空白となっていたハルディン処刑後のラズーモフの足取りがようやくはっきりしたと思ったとたんに,革命家のなかで英雄視されていたラズーモフの真実の告白により,あれよあれよという間に幕は閉じます。ラズーモフ自らがたびたび「神意」と唱えるように,自らの運命をロシアに弄ばれた男の苦悩の前には,ハルディンの妹に対する感情も,ロシア民衆に対する同情も,たいした問題にはなりえなかったようです。そしてそのロシアに対する嫌悪には,コンラッド自身の出自も大きく関わっています。

コンラッドはイギリスの作家と見られていますが,もとはウクライナに生まれた裕福なポーランド人であり,その父親はポーランド独立運動の闘士として,反ロシア運動の中で亡くなりました。本書はロシアの特殊事情と革命家達を,西欧人の眼を通して不可解なものとして描いていますが,その奥にあるコンラッドの眼はもっと厳しいものです。本書はそれまでのコンラッドの作品とは違う世界を扱い,発売当初は一般に不人気だったといわれています。

1月20日

さてメンデルが遺伝学の研究(ワイン改良のため)に使ったブドウの子孫が,東京・小石川植物園に保存されているという。メンデルのエンドウは知っているが,ブドウは知らんよ….という人(わたしのこと)は,「雑種植物の研究」の解説に詳しく書かれているので読んでみましょう。本書も小石川にある原書からの新訳です。1928年に出た岩波文庫の旧版は,長く日本語訳の定本として読まれてきましたが,今回の新訳は,たしかにとても読みやすくなっており,学生時代に戻った気分で楽しめました。

1月19日

今月の岩波文庫新刊は,「水滸伝」,「西欧人の眼に」,「木下順二戯曲選」が続き物、「俳諧博物誌」が柴田宵曲による動植物を詠んだ俳諧をテーマにした随想,メンデル「雑種植物の研究」が70年ぶりの改訳と,なかなか読みやすいタイトルばかりで嬉しいですね。いまさら気が付くのは何なのですが,70周年の総目録には,発行当時の価格が載っていないので不便です(60周年の目録には載っていたはず)。最近は発行後10年ほどで復刊として出される場合があるので(今月復刊の「20世紀イギリス短篇選」など),どのくらい値上げしたかな….という意地悪な興味も^^;;。

1月15~18日

いよいよ受験シーズン。かなり昔となった学生時代を思い返すと,試験勉強をしなければいけないと思うときに限って,本を読みたくなったものですが,みなさんはいかがですか。実際,暇なら本が読めるか….というと必ずしもそうではなく,読むのにエネルギーの必要な本(長編,大作)は,むしろ忙中閑ありという状況の方が捗る気がします。単なる現実逃避かもしれませんけれど^^;;。そんなわけで最近,閑ばかりの私の読書は,一向に捗っていません…。
< 1月14日

短い文章で本の紹介をするのは難しいですね。それでも各社文庫の解説目録を眺めると,ときどき巧く約しているなぁと思うことがあります。で,ユニークな書き込みが多い掲示板「あめぞうBOOKS」ではいま,第一回「失われた時を求めて」要約大会!をやっています。これは難問….ですが面白い企画ですね。この調子で,戦争と平和や罪と罰,赤と黒などなど古今の名作要約大会なんてやったら面白そう。そういうページがすでにあるかもしれないけれど….。
 
1月13日

毎号読んでいる「週刊アスキー」が今週から水曜日発売になりました。木曜日発行の時は,駅で買うたびに,今週ももう少しだ、頑張ろう!という気持ちだったのに,水曜日ではどうも中途半端でいけません….。西和彦氏はようやく博士論文を発表したよう。相変わらず,何処へ顔出しても美人が気になるのね,この人。

1月12日

アリストテレス「動物誌(上)」を読んでいますが,漫然と読めば「アリストテレス編動物百科」となってしまう本書の意義がどこにあるのか,参考資料を探してみました。そこでみつけたのが,アリストテレスとダーウィンの生物観を対比させたページ。それによると,『「博物学」対「進化論」。これは対戦型哲学史であって生物学史でないというなら、「種」(エイドス)は、アリストテレスにとって、生物学的概念であり論理学的概念であったことを思い出しておくとよい(そんな訳で、ラテンな中世論理学では種を「スペキエス」といい、同じくラテン語命名法を保持してる生物分類学は種を「スペキエス」と呼ぶ)。というよりむしろ、アリストテレスは生物(分類)の原理から存在の原理を引き出したのである。彼は「種」の同一性を、次のような「生物の観察」から引き出す。ナスビのつるにヘチマはならない、蛙の子は蛙。犬が生むのは犬であり、人が生むのは人である。AはAを生む。AはAである。「種」の同一性は、種の再生産性、反復性による』とのこと。

ここは,哲学者をいろいろな問題について対決させた「PHILOFIGHT」というページで,読み応えはあるのですが,誰がどんな目的で作ったのか,正体不明….。

1月10,11日

慶応大学の文庫本チームより,岩波書店発行の 情報紙「よむ」の 92年4月増刊号 (文庫・新書の記念特集号)がありますか?ということなのですが,残念ながら持っていませんでした。内容をご存じの方はいませんか。出版社系の文庫関係の情報誌は,古くは岩波書店の「文庫」あたりからいろいろあったのでしょうが,なかなか探そうと思っても難しいですね。

1月9日

逢坂 剛さんのコラム「米国で調査された20世紀傑作英米文学のランキング」(雑誌テレパル)によると,ペーバーバックス「モダンライブラリ」編集委員が選んだベストテンは,ユリシーズ,偉大なるギャツビー,若き日の芸術家の肖像,ロリータ、すばらしい新世界,響きと怒り,キャッチ=22,真昼の暗黒,息子と恋人,怒りの葡萄,だという。それ以下では,日はまた昇る(45位),武器よさらば(74位),荒野の呼び声(88位)など。アーウィン・ショーは100位までに入っていない。100位までに4冊入っている作家はコンラッドのみ。一方,読者を対象にしたアンケートでは,日本でなじみのない作家ばかりだったようで,指輪物語(4位),オーウェルの1984年(6位)がようやくベストテン入りしたくらい。さて,20世紀日本文学ベスト10を選ぶとしたら,あなたは何を選びますか? 鴎外,漱石,有島,鏡花,荷風,芥川,谷崎,太宰,川端,三島….あぁもう10人か。

1月8日

リンク集にDAS KABINETT DESYAMANAKAを追加しました。読書日誌のほか,古書の猟書日誌(古書店巡りや目録の話題など)が充実。頻繁に古書展にも顔を出しているようです。内容は三島,澁澤,谷崎….といえば雰囲気がわかってもらえるかしら。

久々に出た岩波文庫のコンラッド,「西欧人の眼に(上)」を読み始め….あっと言う間に読み終わりました。物語の内容を想像しにくい題名ですが,恐怖政治時代のロシアを舞台に,図らずも革命運動に巻き込まれた一大学生の運命を描いたもののようです….というのは,さる英国人が,その大学生の手記をもとに事件と後日談を語る形になっているので,上巻では肝心なところが隠されているのです。これも続きが楽しみな本です。

1月7日

東海道線平塚駅の近く,我が家から10分ほどのところに「升水記念図書館」という個人の家でもなさそうで、公共図書館でもない,なかなか立派な建物があります。前を通るたびに,これは何なんだろう?と思っていたのですが,古書スーパー源氏のページのバナーリンクにそれを発見し,長年の疑問が氷解しました^^;;。京大教授で仏教哲学者・久松眞一(抱石)を顕彰するため,個人で作った資料館だったのですね。久松関係の資料を高価買取しているから,古書ページで宣伝しているのかしら….。

セコムの関連会社から「勉強がインターネットを変える!」というインターネットを利用した学習システムのダイレクトe-mailがきましたけど,勉強がインターネットを変えちゃうんだろうか^^。逆じゃないの….。

1月6日

「明治文学回想集」の続きです。本書で興味深いのは,初期の新聞小説に関する思い出話。担当記者が毎日出社後1時間で書き上げたとか,挿し絵に時間がかかるため,あらかじめ想定した場面の挿し絵を作っておくのだが,小説の進み具合によっては適当な挿し絵が無くなってしまい,画家を急病にしてしまったりなどなど,当時の新聞のハチャメチャぶりが楽しいです。既製の挿し絵を使うのは小説以外の社会面でも同じで,白昼の事件が挿し絵によって夜中になったり,時には挿し絵にあわせて事件を捏造したりなんてこともあったようです。岩波文庫でも親しい仮名垣魯文の人柄については,関係者による詳しい証言があります。

Yahooでweb-mailのサービスが始まりました。基本的にはいままで取得したYahoo-IDでアドレスが決まるので,ゴロのいいアドレスはもう取れないようですね。

1月5日

新年あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。今日から仕事始め。さっそく賀詞交換会へ行って帰ってきたところです。正月三が日は,実家での新年会があったくらいで,ほとんど寝正月状態でした。みなさんはいかがでしたか? たいした読書はできなかったのですが,気軽なところで岩波文庫の「明治文学回想集(上)」を読んでみました。大正末期の「早稲田文学」から抄出された明治初期文学界の回顧文集なのですが,新聞小説を中心にバラエティーに富んだ内容で続きが楽しみです。