Book Review
December 1997
今年最後の締めくくりは,読みやすい^^4点。
荒野の呼び声(ジャック・ロンドン)
海保眞夫による43年ぶりの新訳。旧訳者は岩田欣三。19世紀末,富裕な家でセントバーナードとコリーの間に生まれ育ったバックが, 盗みだされ,ゴールドラッシュに沸くカナダでそり犬として働くことに。過酷な労働と,生死をかけた闘いの中で鍛えられ, バックは次第に野性に目ざめていく。
夢の女・恐怖のベッド(ウィルキー・コリンズ)
推理小説の創始者の一人,コリンズの短篇集。詳しくはここ。
ある出稼石工の回想(マルタン・ナド)
コリンズ短篇集の「黒い家」は,石工の家の幼い少女が一人で,荒くれ男たちから命を懸けて家を守る冒険物語だが, これは19世紀パリの出稼ぎ労働者の回想録。著者ナドは,のちに石工仲間に推されてフランス立法議会議員となり, 急進的な共和主義者として知られている。単なる立身出世物語ではなく, 激動のフランス革命時代を一移民労働者の立場から詳細に記述した貴重な記録。
俳談(高浜虚子)
虚子の俳論や日常のさまざまな雑事を綴った1ページそこそこの短文を150余りを集めた文集。「写生」について分かり易く説く。
H.G.ウェルズが岩波文庫にある,というと奇異な感じがしませんか。しかし,岩波文庫にウェルズが入ったのはずいぶん昔のことで, 昭和28年「トーノ・バンゲイ」が最初です。その後,しばらく音沙汰がなかったのですが,ここ数年, ようやく代表作のいくつかがそろってきました。
モロー博士の島,またの名を改造人間の島,を久しぶりに読み直し,やはりウェルズは面白い,と思いました。改造人間というと, 普通は人間自体を改造し(フランケンのような)怪物を造り出すのですが,生物学者ドクターモローは, 孤島で猿や牛を人間に改造するという異様な研究に打ち込みます。改造人間たちには掟を教え込み,自らを神とし, 従順な社会を作り上げていた博士の身に起こったことは....。
そのほかにも,未来の新聞が突然配達されてきた男の困惑(ウェルズが1970年代をどのように予測していたかがわかる)や, 肥満に悩む男がインドの秘法を試したところ思いがけない結果が....(肥満解消ではなくて重さをなくす秘法だったからですが), などなど本邦初訳も含めて楽しく気持ちの悪い話ばかりです。
☆トーノ・バンゲイ☆
SFの父,ウェルズの代表的長篇。一人の若者が「トーノ・バンゲイ」なるインチキ強精剤を発明。儲けに儲けて巨万の富を築くが, やがてそのインチキ性が暴露され,破滅と転落の道をたどる,という物語。社会派ウェルズの資本主義社会告発小説だが,随所にSF的発想, 科学ペダントリィが見られる。
岩波文庫で読むウェルズ
岩波新書で読むウェルズ
ドイツ文学には昔から教養小説というカテゴリーがあるといわれています。
我が国では最近,大学の教養課程なるものも縮小の一途で,若い世代にとって"教養"は死語同然となっており,教養書と呼ばれるのはもっぱらビジネスマン向けHow toものなど,
"お勉強"関係の本ばかりで面白くありませんね。
その点,ドイツの教養小説では,教養を身に付けるのは読者ではなく,もっぱら主人公ですから,勉強を強いられることなく, 安心して読むことができます....^^。
岩波文庫には,初期のゲーテやヘッセ,ケラー,シュトルム,ヘルダーリンなど,教養小説に属するものが, かつてはたくさん収められていました。なかでもイタリアを愛したハイゼの諸作は,エキゾチック舞台設定や登場人物が好まれて, 古くから我が国でも愛読されてきました。
ハイゼの短篇"忘られぬ言葉"は, イタリアとドイツの森を舞台にした男爵令嬢と若きドイツ人家庭教師との恋物語。旅先のイタリアで出会った二人は,互いに惹かれるものを感じ, 令嬢のお屋敷で弟の家庭教師として一緒に暮らすことになります。
初めは広大な屋敷や貴族的な生活に,やや気後れ気味だった彼でしたが,屋敷の人々から愛され,二人の愛情が深まるとともに, 彼の文学への情熱も高まってきます。
もともと,身分の違いなど意に介さぬ二人でしたが,そんな楽しい日々の中で,あるとき彼が,令嬢とその友人の女性との会話を, ふと立ち聞きしてしまったことから大きな衝撃を受け,ひとり屋敷を去り,旅立つことに。
数年後,令嬢宛に,イタリアに旅した友人からの手紙が届き,彼がイタリアに客死し,その墓銘碑に,"余は忘るる能はず"と書かれていたことを伝えます。令嬢はその後, 結婚もせず老いた母を看取ってすぐ,自分も亡くなりますが, その墓に"余は忘るる能はず"の言葉を刻むようにとの遺言が残されていました。
さて,二人の間には何があり,"忘られぬ言葉"というのは何のことなのでしょうか。それは本書を読んでのお楽しみ....。まあ, 同じ男として,愛する女性を許せなかった彼を,度量のない男とは責められない気持ちです^^;;。
ハイゼは,著名な言語学者であった父と,裕福な母の間に生まれ,幼い頃より恵まれた生活を送りました。 それは穏やかな作風にも現れているようです。19世紀末には,自然主義者たちにより激しい攻撃を受けましたが, 今世紀に入ってからは再評価され,1910年,ドイツで初めてノーベル文学賞を受賞しました。
本書は昭和5年に岩波文庫に収められました。ドストエフスキーやスタンダールのような強烈なストーリー展開があるわけでも, さりとてリアリズムでもない地味な教養小説が,近年,次第に読まれなくなっていくのは仕方がないことかもしれませんが, 本書もその後は再版されず,2年ほど前に一度復刊されたきりです。
岩波文庫には,やはりイタリアを舞台にした「片意地娘」(短篇集)があり,ハイゼの代表作であるこちらもお薦めです。
※ハイゼのプロフィールと,ノーベル賞受賞に関しての詳しい資料は次のサイトにあります。THE NOBEL PRIZE FOR LITERATURE - 1910
ドストエフスキーの「賭博者」は,ギャンブルにはまっていく人間の心理を克明に描いたもので,
まさにドストエフスキーならではの作品だ。
そう,ドストエフスキーはギャンブル狂だったのである。
本書「妻への手紙」には, 一文無しになり質草がなくなっても一発逆転を夢見てルーレット台から離れることのできない情けない自分を嘆く文面が随所に出てくる。 そして手紙の最後は決まって,"愛する妻よ,どうぞ送金を急いでおくれ"....。
もっとも「手紙」の相手たる二人目の妻アンナと知り合ったのも,この「賭博者」という作品が縁であった。
当時,出版社からの前借りで首が回らなくなっていたドストエフスキーは,借金返済のため大急ぎで作品を渡さねばならなかった。しかし, とうてい執筆している時間がないので,一計を案じ,かねて腹案のあった(実体験そのままですな^^;;)この「賭博者」 を口述筆記でやっつけてしまうことにした。そのとき,速記者として紹介され,やってきたのが,若いアンナだったのだ。
ちょうど,愛する兄や妻に先立たれて寂しい生活を送っていたドストエフスキーは,このアンナに惹かれ,1ヶ月でプロポーズ。 アンナもまた,高名な敬愛すべき作家に見初められたことは満更でもなく,4ヶ月目には結婚と相成った。
しかし再婚となると,自分たちの生活が脅かされる先妻の子供や親戚が黙っていない。借金苦も相変わらずだ。そこで夫妻は, 新婚生活もそこそこに,周囲のゴタゴタから逃れるべく,ドイツ,スイス,イタリアなど西欧各地に,足かけ4年にわたる旅に出た。(この間も, ルーレットで散々痛い目にあっている)
帰国後は,家族を生活費を削減するため地方へ転地させ,自分はペテルブルクに残り,毎日のようにアンナへ手紙を書き続けた。 この手紙は作家の死後,夫人により整理,分類され,詳しい註もつけられていたが,公にされたのは,夫人の死後, ドストエフスキー家所蔵文書中より発見されてから以降である。
「妻への手紙」には,結婚前から晩年に至るまで,妻アンナに送った手紙162通が収められている。作家の"手紙"や"日記" には, あらかじめ作品として公にされることを意図して書かれているものもあるが,この「手紙」はまったくプライベートなもので, ドストエフスキーの生活を知る上で貴重な資料だ。
そこで,その内容だが,これはもう第一に金の話。それも賭博の反省と借金の心配。これに持病の話を加えれば,これがほとんどである。 作家の精神世界を盗み見て,作品解釈の手だてにしようという人々は,いきなりコケざるを得ない。
実際,岩波文庫版700ページにも及ぶ手紙が,あまりにうんざりするものばかりなので,最後まで読み通すのには,非常な根気が必要だ。 ざっと拾い読みして,ああ,ドストエフスキーも日常の些事に煩わされることでは,我々と一緒だったのだ,と安心し, その作品に一層の親しみを感じるのなら,それでも充分か。
しかし注意しなければならない! 本書の中でいちばん重要な手紙はいちばん最後, すなわち1880年6月にモスクワで行われたプーシキン記念祭での自らの演説の様子を伝える13通 だからだ。これはロシア文壇にとって歴史的事件であった。
このとき,当時の文壇を二分していた西欧主義者ツルゲーネフと,スラブ主義者ドストエフスキーが, 国民詩人プーシキン記念像の除幕式に当たって,ともに演説を行い,ドストエフスキーが聴衆より熱狂的な支持を得たのだ。
手紙は,"頭が変になり,手足が震えるような"ドストエフスキーの極度の興奮ぶりを伝えている。たしかにドストエフスキーにとって, 生涯最後の大事件となったここのところは,ぜひ読んでおきたい。(復刊されて間がないので,新刊書店で入手可能)
幸せの青い鳥を求めて,チルチルが「思いでの郷」や「夜の宮」,「歓びの城」
をたずねて廻る美しい詩のような名作,夢のようなまどやかな作品。1908年作。
岩波文庫にはメーテルリンクより翻訳を許された若月紫蘭氏の訳により,1929年に収録。1939年に改訳。 赤帯フランス文学としてしばらく絶版になっていましたが,先頃復刊。現在は,また絶版。 写真はいまより縦長の判型だった戦前版です。
メーテルリンクについて
モーリス・メーテルリンクは1862年,ベルギーのゲントに生まれ,最初両親の希望によって法律を学び,学校卒業後, しばらく法律家として立っていたのでしたが,1886年パリに行ってから文学者の仲間入りをなし, 霊的詩的神秘的方面に興味を持っていたのです。1889年,父の死にあってベルギーに帰って,詩集「セレ・ショード」と戯曲「マレーヌ王女」 とを公にすると,ベルギーのシェークスピアだと評せられたのでした。
その後67年間,ベルギーにあって創作に従事していたのですが,1896年ベルギーを出てからは再び帰国せず,爾来,「知恵と運命」 「貧者の寶」「埋もれた寺院」「蜜蜂の生活」等の哲学的論文を公にし,益々その名を高くしたのでした。
「青い鳥」はメーテルリンクの作品中もっとも広く知られており,今日ではほとんど世界の各国語に翻訳され,映画にまでされて, 日本でも映写されたことがあります。映画ばかりでなく,日本で2回も上演されたこともあり,相当知られている作品です。
この作の面白いところは,子供が主人公である上に,見て美しくもあって,子供にもわかるように書かれているいるという点と, 熟読すれば哲学的の疑問も,高遠なる論理にも充満していて,比較的でもあり象徴的でも神秘的でもあるという点にあるのです。
一体「人間はどこから来るのか」,「どこへゆくのか」,「死とはなんぞや」,「幸福とはなんぞや」, これらはこの戯曲の提供する最も大きな問題なのですが,また何人も容易に答えられない哲学的神秘的の大きな問題でもあるはずです。
これに対して,作者はいちいち明晰な回答を与えてはいませんが,「青い鳥」を象徴していると思われる「幸福」の如きに対しては, それが「無我愛」,「犠牲」そのものであることを説いているように思われ,子供にとっての最大の幸福は我が家であり, 母の愛であることを教えているようです。(1939年改訳版紫蘭氏の序による)
「青い鳥」は子供の頃,絵本や童話集などで愛読し,印象の強い作品でした。今回,あらためて読み返してみて, 訳者の紫蘭氏が本書をたいへん巧くまとめられていたので上記の通り,転載いたしました。岩波にはぜひ復刊を望みたいところです。
strong>「新しい御馳走の発見は、人類の幸福にとって天体の発見以上のものである。」 - ブリア・
サヴァラン -
「岩波文庫の食の本」で,肝心なサヴァランが抜けてしまった。これだけ別に一項を設けよう! という特別の思い入れがあったわけではなくあのドラマ「王様のレストラン」とのからみで何か書こうと思いつつ,ビデオを見ていて, やっぱり山口智子(鈴木京香じゃないよ)はいいなぁ, などといっているうちに忘れてしまったのだった^^;;。
美食家サヴァランは,いまではケーキの名として親しいが, このケーキは別にサヴァランによって考案されたわけではない。
スポンジに,ラム酒とシロップを含ませ,表面にアプリコットジャムを薄くコーティングしたフランスの伝統的な菓子サヴァランは, ポーランド王レクチンスキー公付きのシェフ,シュブリオにより考案され,はじめ公によって,アリ・ババと名付けられた。 その後19世紀初頭には宮廷に仕えていた職人ストレールがこれを一般に広め,さらに1840年,オーギュスト・ジュリアンが改良を加え, 当時の有名な美食家にちなんで,ブリヤ・サヴァランと名付けたのだ。
本書の著者ブリア・サヴァランは,あらゆる学問芸術に通ぜざるなく,その上,詩も作曲も,時には粋な小唄の一つも歌おうという, こういう人物が学殖蘊蓄を傾けて語る“料理の芸術”と言えば,この名著の内容をほぼ御想像いただけるだろう。(解説目録)
こういう人間と一緒に食事して,楽しいかどうかはともかく,「美味礼讃」(原題・味覚の生理学, 英語ではThe Physiology of Taste)は 読んで楽しくためになる本だ。 その学問的な蘊蓄を語る部分で,博識ぶりを見せつけながらも,皮肉とユーモアを忘れない。あしたの夕食づくりには向かないかもしれないが, 当時の流行の料理のレシピも興味深い。彼にとって人生すべてが, 食べることの楽しさに結びつけられているのだ。
本書の最後に,さまざまな食の思い出を記したヴァリエテ(雑録)がある。 その亡命時代の思い出の章にアメリカの項があり,その内容は
訳者は「どういうわけか原書には標題だけあって本文がない。 別の場所に発表するつもりなのか,さしさわりを考えて削除したのか」などといっているが 「言うべきことがない」と削除は違いますよね,みなさん....。
まあ,美食家と呼ばれるには腹周りも懐具合も貫禄不足だが,せめてサヴァランでも食べながら「王様のレストラン」を見ることに, ....いや違った「美味礼讃」を読むことにしようか。
先月までは創刊70周年記念の新刊・復刊ラッシュで,読む方も (たぶん出す方も)なかなか忙しかったが,今月はいつものペースで4点の新刊が出た。
1 市民の反抗
19世紀アメリカの作家ソローは自然を詳細に観察し, 植物や動物のスケッチを数多く日誌に残した。岩波文庫読者にはウォールデン湖畔で2年あまりを過ごした経験をもとに書いた 「森の生活」(WALDEN)で馴染みがある。奴隷制に反対し投獄され,その後は執筆と講演で暮らし, 45歳で亡くなったソロー。本書からは消費社会や自然破壊,個人主義と国家主義など, 現代社会の問題点に早くから取り組んだ,ナチュラリストとしての彼の姿を伺うことができる。
宝島社版「森の生活」には, 輝かしい経歴を捨てて森に入った....云々という紹介があるが, ソローの森は満たされない教師生活や家業からの逃げ場だったと考えるのが自然ではないか....。 もとより現代のうさんくさいナチュラリストと一緒にするつもりはないが。
2 アイルランド-歴史と風土
著者オフェイロンは現代アイルランドの作家。アイルランドの歴史を, 神話の時代から,現代の独立運動まで,活動家としての自らの体験を交えて詳細に語る。
対英武力闘争の悲惨な体験を描いた“真夏の夜の狂気”などでアングロ・ アイリッシュ文学の中心的存在だったオフェイロンの短篇集。
3 西遊記(9)
ピンチヒッターとして登場した中野美代子氏の訳も馴染みになった西遊記。全10巻中の第9巻。 話はいよいよ佳境に入り,凶星を負った三蔵は和尚殺しの願を掛けた滅法国の国王からいかに逃れるか?
20年ほど前,教壇でみた中野先生は, 全く色気のない声で妙に威勢良く色気たっぷりな金瓶梅など中国小説の話をしていた。最近はいろいろメディアに登場し, 相変わらずの貫禄を見せているようです....
4 確率の哲学的試論
18世紀の数学者ラプラスの哲学的な確率論。 宝くじなど賞金の期待値は? 保険の掛け率は?身近な確率の問題を,数式なしで明快に説く。
「化学の学校」(岩波文庫)を読んで, 高校の化学の教科書がこれほど明快で楽しいものだったら,さぞかし化学好きの学生が増えるだろうと思った。 総じて古典的な科学書は,読み物としても楽しめるものが多い。難しいことほど平易に書け,と言うが, 既存の理論をこねくり回す現代の科学書に,読む楽しみはあるか?
バルザックの小説は読まれなくなった。それは,本題にはいる前の能書きが長かったり,情景描写,
舞台設定が細かすぎ,現代小説の話のテンポに慣れている読者には,それらを読まされる時間が耐えきれないからだという。
また,いわゆる若い読書人たちの中には,名も知らぬマイナーな作品を尊び,「世界文学全集」的な作品を敬遠するのがよい, という気分もあるようだ。
それで,いまどきバルザックの代表作「ゴリオ爺さん」なぞを読むのは,よほどの暇人ではないか? と思われるかもしれないが,我慢比べとなるかどうか,とりあえず読んでみることにしよう。
「ゴリオ爺さん」は500ページほどの物語である。ページを順に追っていくと,最初に舞台となる下宿屋とその住人の説明があり, 主人公ゴリオの最初のせりふ「あれはわしの娘ですがね」が出てくるまでに50ページが経過。
もう一人の主人公ラスティニヤックはそのすぐあとに登場するが,この第一章はそのまま170ページまで続き,やっと 「パリ悲劇の序幕はこれをもって終わりとする」。
この最初の50ページはまったく淡々とした書きっぷりで,あまりに細かい描写が出てくるから,かえって「舞台」 の全体像が見えてこない感がある。しかし,バルザック自身, 「観察と地方色に満ちあふれたこの小説の独特な味わいはパリっ子にしかわかってもらえないだろう」と言っている通り, 当時の読者であるパリの人々には,これでさぞかしリアルなイメージを与えることができたのだろう。
そして,これが退屈でないとは言い切れないが,ジョルジュ・サンドが「バルザックの作品は....どの1ページにせよ, 書き落とすことがあったら,全体は不完全なものとなろう」と語った通り,ここを読み飛ばしては,あとあと面白くない。実際, バルザックは長大であるが,少なくとも冗長ではない。
ご承知の通り,バルザックは「人間喜劇」と題する作品集91篇を書いている。
そのいわば巨大な大河小説の中で,最高の作品のひとつが「ゴリオ爺さん」
であることは間違いない。異なる作品に同じ人間を何度も登場させるという手法も,この作品から始まった。
よって,バルザックの他の作品を読むことで,ゴリオに登場した貧乏学生ラスティニヤックが, その後どのようにして驚異の出世を遂げたのか,不死身の男ヴォートランがいかに脱獄に成功し, パリ警察で活躍することになるのか,を知ることができる。
その膨大な作品の中で文庫本で出ているものは少ないし,岩波でも大方絶版である。バルザックに魅せられると, あとが大変だ。
もっとも貴方が,「バルザックばかり読んでいられないから....」とゴリオだけで卒業してしまっても大丈夫。 岩波文庫版の訳注は親切で,その辺の事情をうまくまとめている。
バルザックの経歴はモームの「世界の十大小説」(岩波文庫)に詳しい。
☆写真はパリ市内のバルザックの像と,ペール・ラシューズ墓地にあるバルザックの墓。
"即興詩人"は,アンデルセンのあこがれの国イタリアを舞台にしてくりひろげられる恋の物語。
ローマに生まれた薄幸の主人公アントニオの生い立ちに始まり,オペラ女優アヌンチャタとの悲恋,数奇な運命の果てに,
かれは即興詩人として名声を得,ヴェネツィア第一の美女マリアと結ばれてめでたく終わる。
その間に,親友の豪放な貴族ベルナアルド,美貌の小尼公フラミニア姫,情熱の人妻サンタ等の美男美女, あるいはまた聖母のごとき慈愛の老婆ドメニカ,ふしぎな魔女のようなフルヴィア等を配しつつ,舞台はローマ,ナポリ,ヴェネツィアにわたる。 若い芸術家の青春,かれの悲哀と世に出るまでの物語が,ローマ,ナポリ,ヴェネツィアを舞台に展開する間に,イタリア本土の名勝,旧跡, 観光地のほとんど,それを取り巻く自然のたたずまいがさまざまに点綴されて描かれる。
また,そこにからむギリシャ,ローマの神話,伝説からイタリアの歴史,宗教,文学,芸術,年中行事,風俗, 風物にこまごまと筆が向けられるのである。イタリアのすべてにアンデルセンは心を奪われて筆を惜しまないし,至るところであるいは感激し, あるいは詠嘆して賛美の声を放つのである。(解説)
生涯を旅に暮らしたアンデルセンは,ことにイタリアにあこがれ,前後4回彼の地を訪れていますが, そのうち1833年,最初のイタリア旅行の印象や体験から生まれたのがこの"即興詩人"です。1835年にデンマークで刊行され, 同じ年に刊行された"童話集"に先立ち,アンデルセンの出世作となりました。文壇の派閥争いに巻き込まれたこともあり, 批評家たちからは冷たい扱いを受けましたが,一般の評判はよく,次々と版を重ね,各国語に訳され, 次第に世界中の人々の愛読書となっていきました。
しかしながら"即興詩人"は,"童話集"の名声に隠れ, いまでは故国デンマークでもほとんど顧みられない作品となっています。それは, この物語がロマンティックではあるものの,単純で,話がうまく出来過ぎており,登場人物の性格が一面的である, など所詮通俗小説の枠を出ないものであったからと考えられています。
そんな中,唯一日本でのみ,"即興詩人"はアンデルセンの代表作の一つとして,広く名が知られ,読みつがれてきました。本書を愛し, 明治25年から足かけ10年にわたり苦心の翻訳を続けた森 鴎外がいたからです。
鴎外は本書をドイツ語訳で読み,「我座右を離れざる書の一に属す」と語り,
明治25年11月"しがらみ草紙"に連載を開始。あいだに日清戦争をはさみ,34年に完成。
35年9月に森林太郎訳の書名で出版されました。鴎外の文章は,自身が「しちくどいまでに凝った文章」と語る通り,
優雅華麗な擬古文で書かれているので,今の若い人(私のこと)にとって,ルビなしで読みこなすのはなかなか骨ですが,
幸い岩波文庫版はほとんど全文ルビがふられているので,安心して朗読することもできます。
鴎外訳を通して"即興詩人"に魅せられた人も多く,安野光雅氏は,「新興宗教の勧誘者のように」この本の信者を増やす傍ら, 舞台となったイタリア各地を踏査したといいます。
ところで,岩波文庫には,大畑による原典訳と鴎外訳のふたつの"即興詩人"が収められています。大畑訳は赤帯(外国文学) でアンデルセンの著者番号を与えられていますが,鴎外訳の"即興詩人"は特別扱いで,鴎外の小説などとならんで緑帯(日本文学) 扱いになっています。これは鴎外の訳が単なる"翻訳"をこえて,翻案,もしくは鴎外の半ば創作といえるほど, 自由自在になされているからです。
一例として,最終章,"青の洞窟"の一部を大畑原典訳と鴎外訳で比較してみます。
洞窟の小さい入り口は明るい星のように光っていました。
それが一瞬暗くなったかと思うと,二三のボートが海の底からのように浮かんできました。やがて,ボートはわたくしたちの方へやってきました。
だれもが祈りの気持ちで,物思いにふけっていました。ここではプロテスタントもカトリック教徒も,奇跡の存在を感じました。
「潮がさしてくるぞ!」と,こぎ手のひとりが言いました。「出なけりゃなりません。
さもないと,入口がふさがって,潮が引くまで閉じこめられてしまいますから。」
わたくしたちは,ふしぎなひかりにかがやく洞窟を出ました。
ひろびろとした大うなばらがわたくしたちの前にひらけました。青の洞窟の暗い入口をうしろにひかえて。(大畑訳)
巌穴(いはあな)の一点の光明(くわうみやう)は忽(たちま)ち失(う)せて,
第二の舟は窟内(くつない)に入り来りぬ。そのさま水底より浮び出(い)づるが如くなりき。第三,第四の舟は相継(あひつ)いで至りぬ。
凡(おほよ)そここに集(つど)へる人々は,その奉ずる所の教の新旧を問はず,一人として此(この)自然の奇観に逢ひて,
天にいます神父(しんぷ)の功徳(くどく)を讃(たた)へざるものなし。
舟人俄(にはか)に潮満ち来(く)と叫びて,忙(せ)はしく櫓を揺(うご)かし始めつ。
そは満潮の巌穴(いはあな)を塞(ふさ)ぐを恐れてなりき。遊人(いうじん)の舟は相(あひ)ふくみて洞窟(どうくつ)より出(い)で,
我等は前に渺茫(べうぼう)たる大海を望み,後(しりへ)に浪汗洞(らうかんどう)の石門の漸(やうや)く細(ほそ)りゆくを見たり。
(鴎外訳 代字あり)
先に鴎外訳に親しんでいたせいか, 原典訳(巻末の書き込みによると私は20年前に読んだようです)はまったく別の作品のような感じを受け,申し訳ないことながら, ずっと鴎外訳を読むための"資料"のような気持ちでいました。しかし今回,久しぶりに書架から出した原典訳は, アンデルセンの童話と変わらぬ,やさしく穏やかな大畑氏の語り口が心地よく,楽しく読み進むことができました。
また,鴎外の「即興詩人」がどのようなものであるのか知りたい,という方には, ちくま文庫版をおすすめします。表記は原文のまま,かつ詳細な注記がついていて,なかなか便利な本です。 ただし,あの1ページごとの注記(とくに言葉の説明)というのは,鴎外の流麗な文章を味わうときに,かなり邪魔であるな, と思いますが....。以前の旺文社文庫などでもよく見かけましたが,字面で容易に想像がつくような言葉まで「・・・のさま」 などといちいち説明されると,なにか教科書を読んでいるようで,ちょっと気分が乗りませんね。
追記----同じ本が2種類の訳で出ているわけですから,混乱もあって, 鴎外訳に掛けられた緑帯に大畑訳の赤帯用の紹介文が印刷されてしまったこともありました。文章に異同があることからみて, 単純な印刷ミスではなさそうですが....^^;;。(写真は大畑訳と鴎外訳の表紙と帯。鴎外の帯の紹介文が誤っている)
アメリカ中西部の田舎からシカゴへやって来たキャリーは,華やかな都会生活の魅力にとりつかれたあげく,
妻子ある酒場の支配人とニューヨークへ駆落ちする。そこで,キャリーは女優として売出し成功するが,
男は没落し労働争議に巻込まれてゆく…。都市小説の先駆となったドライサー(1871-1945)の代表作。写真は作者。
読んでからこの写真を見ると,ちょっとイメージが違いました。もっと退廃的な感じの人かと思ったのですが....。
「シスターキャリー」の評価
「シスター・キャリー」は現在ではアメリカ文学の中で最も重要な作品と考えられています。しかし, 1900年の発表当時は450部しか売れず,ほとんど黙殺され,ついでその「新時代の女性像」をめぐって激しい論争の的となり, 1970年代になってようやく20世紀アメリカ小説の記念碑的な作品,最高のリアリズム小説と賞賛されるようになりました。 日本でも,"アメリカの悲劇"は古くから読まれていたものの,「キャリー」の訳本は入手困難でした。今回, ようやく岩波文庫版で読めるようになったのです。
キャリーをめぐる男たち
少女キャリーは,貧しさから抜け出すために大都会シカゴにやってきますが,その都会の威力に圧倒され,打ちひしがれてしまいます。 そこを助けるのが羽振りのいいセールスマン,ドルーエ。キャリーは都会の華やかな生活を味あわせてくれるドルーエに惚れ, 一緒に暮らすようになります。
しかし,そのドルーエもしばらくするとつまらない男に見えてきて,もっと金持ちの支配人,ハーストウッドに乗り換えます。しかし, ハーストウッドはこの浮気がばれて,彼の財産を押さえ込んでいる妻と訴訟となり,ついに強引にキャリーを連れてカナダへの逃避行。 おまけに自分の店の売上金をたんまり盗んでいき,お尋ね者に。
ふたりは世間から身を隠すようにしてニューヨークに現れますが,そもそも金の切れ目が縁の切れ目か,事業に失敗し, しょぼくれてしまったハーストウッドから,心は離れる一方。生活も困窮の一途。そんなとき, かつてちょっと素人芝居で評判をとったことを思いだし,ブロードウェーの端役として潜り込んだキャリーは, トントン拍子にスターへの道をまっしぐら。
当然,もうハーストウッドのことなどはお構いなしで,すべてを失った彼は,労働争議まっただ中の鉄道会社に職を求めますが, 過酷な労働に打ちのめされます。かつてシカゴの洒落者で通っていたこの男の最期は,物乞い生活の末のガス自殺でした。

キャリーの行方
この物語において,キャリーは理性よりも本能的に行動する女性ととらえられていて,ドライサーは多分にキャリーに同情的です。
「大都会が目の前にあらわれると,これまで思いもかけなかったような美しさをこの都会が差し出してくれると見て取り,本能的に, 感じたことだけを頼りにしてそれにしがみついた。すてきな身なりをして優雅な調度に取り囲まれている男たちは,満ち足りているように見えた。 ・・・・求めていたのはあんなものそれ自体ではなくて,そういうものによってあらわされている意味なのだ。 時が経ってみるとはっきりしたとおり,あんな世界に何かの意味が隠れていると思ったのは間違いだった。」「だからわきまえるがいい。汝には, 満たされるということも,飽くということもない,ということを」
19世紀最後の年に書かれたこの物語。豊かな時代を目指して一直線に進みはじめたアメリカで,情熱のままに生きたキャリーが, 勝ち得た成功のあとの孤独感,閉塞感。100年が過ぎた今,我々が追い求めている「豊かな生活」は,キャリーのそれと, どこが違うのでしょうか。そして我々はその生活に,どんな意味を見いだしたのでしょうか。「キャリー」が,現代において再評価されたわけは, 自ずと明らかなように思えます。
「キャリー」はなぜ「シスター」なのか?
これは物語を読み終わってもよくわかりません。しかし,次のような事実があります。
ドライサーは10人兄弟の下から2番目。兄弟はみんな不良でした。 兄たちは家出して芸人や流れ者になり,行方しれず。長姉は弁護士に誘惑され私生児を死産。 次姉はシカゴで酒場の出納係をしていた男に誘惑され,酒場の金を持ち逃げしたこの男とニューヨークに駆け落ちし,新聞を賑わしたりしました。 おかげでドライサーは兄弟の生活費まで稼がねばならず,一時はノイローゼで自殺しかけたこともあったようです。 「シスター・キャリー」はこの姉の経験をもとに書かれています。

直接,岩波に関係するものではありませんが,岩波文庫に関心がある人にとっては興味のある雑誌, 「BOOKMAN」をご紹介します。
「本」に関する雑誌はいろいろありますが,新刊・古書をとりまぜて,ユニークな視点で特集を組んだ雑誌 「BOOKMAN」が終刊になって6年あまり。古書店でもあまり見かけないこの「雑誌」は,しばしば文庫本, とくに岩波文庫を取り上げていました。
「BOOKMAN」は,瀬戸川猛資氏らの編集により1982年イデア出版局より創刊され, 岩波文庫を特集した第1号はなかなか評判となりましたが(「本の雑誌」からは,あの調子で"ケッ!"と言われ, 互いに罵倒合戦となりましたけれど....),売り上げは「次第に土俵際まで後退し」(瀬戸川氏), 5号以降はトパーズプレスに移籍するなど,商売上は必ずしも順調ではなかったようです。
なかごろからは,刊行も次第に不定期となり,私のような版元直接予約定期!購読者でも, 次が出るのか出ないのか皆目見当がつかず,古書店では「1~20冊(廃刊)揃い」 などと勝手に廃刊扱いされる始末。


それでも荒俣 宏や呉智英など, 優れた執筆者に恵まれて,ぼちぼちと刊行を続け,最後には珍しくも自ら「30号終刊宣言」を出し, 予定通り足かけ10年に及ぶ苦難の歴史に幕を閉じました。そんなわけで長年つきあってきた読者としては, この雑誌の揃いがちょっと自慢であったりするわけです^^。
「BOOKMAN」の特集タイトル一覧を挙げますが,なかなか魅力的でしょう? とくに古書店関係のガイドは,徹底した調査をしていて,非常に役に立ちました。 もし古書店などで見かけましたら,開いてみて下さい。このホームページでも,機会がありましたら, この雑誌の面白い記事をご紹介していきたいと思います。
「BOOKMAN」 全30冊の歩み
| 号 | 特集 | 発行年 | 発行月日 |
| 1 | なぜかいま,岩波文庫が読みたくなった! | 1982 | 10/1 |
| 2 | 見えない図書館 | 1982 | 12/1 |
| 3 | 書棚から消えていった作家たち | 1983 | 2/1 |
| 4 | 完全版・神田古書店カタログ | 1983 | 4/1 |
| 5 | 新書ハンドブック | 1983 | 7/1 |
| 6 | おお探偵小説大全集 | 1983 | 9/1 |
| 7 | ザ・ベストブック1983 | 1983 | 12/15 |
| 8 | HOW TO 洋書 | 1984 | 3/20 |
| 9 | 一生の読書計画 | 1984 | 6/25 |
| 10 | 書斎の秘密 | 1984 | 10/20 |
| 11 | ザ・ベストブック1984 | 1985 | 2/15 |
| 12 | 幻の探偵雑誌「宝石」を追う | 1985 | 6/20 |
| 13 | これが決闘文学だ | 1985 | 11/1 |
| 14 | ザ・ベストブック1985 | 1986 | 2/20 |
| 15 | 辞書はすばらしい | 1986 | 6/10 |
| 16 | SF珍本ベストテン | 1986 | 10/1 |
| 17 | 読書術・秘中の秘 | 1986 | 12/30 |
| 18 | みんな欲しかった中国名著カタログ | 1987 | 4/10 |
| 19 | 本物のホラーを! | 1987 | 7/10 |
| 20 | ブックマンたちに捧げる特別号 | 1987 | 10/30 |
| 21 | 東京古本屋帝国ベスト店 | 1988 | 3/15 |
| 22 | 読書日記をつけましょう | 1988 | 7/31 |
| 23 | 関東古本屋帝国ベスト店 | 1988 | 11/21 |
| 24 | 世の中,マンガ | 1989 | 4/15 |
| 25 | BM式必携文庫目録 | 1989 | 8/25 |
| 26 | 秘密のベストセラー | 1989 | 12/25 |
| 27 | 本への"熱視線" | 1990 | 4/30 |
| 28 | よくわかる現代詩 | 1990 | 10/20 |
| 29 | オール未発表企画 | 1991 | 3/20 |
| 30 | 「いい本」とは何か-最後のメッセージ | 1991 | 6/10 |
第一次世界大戦前夜,1913年に執筆,14年に刊行されたH.G.ウェルズの「解放された世界」は,
のちの第2次世界大戦における原子爆弾の惨害を「予言」したものとして,しばしば引用されます。
オットー・ハーンによるアイソトープの観測と核分裂の発見は1938年ですから,執筆当時はまだ原子爆弾はもちろん, ラザフォード-ボーアの原子モデルですら存在していませんでした。本書は,世界戦争における原子爆弾の使用を1950年代とし, それがパリやロンドンなど世界各国の大都市に投下された結果,各国の都市機能,政治機能が完全に麻痺し,旧来の「国家」が崩壊, 世界共和国が実現するまでの物語で,そのあたりの「歴史的」事情については,本書の序説やウェルズ自身による序文に詳しく述べられています。
巻末には,訳者による「ウェルズと日本国憲法」と題する「解説」がついており,「解放された世界」で示された強力な国際連盟案は, ウェルズの「人権宣言」に関するルーズベルト大統領への書簡となり,それがポツダム宣言, ひいては日本国憲法の成立に直接の影響を与えたこと。戦後の我が国における個人の自由と平等と権利, 平和と進歩と繁栄はなんといっても現行憲法,つまりウェルズの人権平和憲法のおかげであること,などが書かれています。
訳者が発掘したという,ルーズベルト大統領とウェルズとの往復書簡がどれほどの大発見であるかはわかりませんが, ウェルズの世界共和国構想がどのようなものであったのかを知ることができます。訳文がすっきりしていないのが難ですが, ウェルズの理想国家像を知る上で興味ある作品といえるでしょう。
ウェルズは原子爆弾が欧州の大都市ではなく,極東の2都市に落とされたことを知ってすぐ,1946年に亡くなりました。 原子爆弾は国家に対しウェルズの予測に近い深刻な打撃を与えましたが,科学知識の発達により独立主権国家, 独立帝国はもはや存在不可能であるというもう一つの予測には,まだ回答が与えられていません。
「つゆのあとさき」について荷風は,「教師をやめると気楽になって,遠慮気兼をする事がなくなったので, おのずから花柳小説のようなものを書きはじめた。 カフェの女給は大正十年前後からにわかに勃興して一世を風靡し....しかし震災後早くも十年を過ぎた今日では盛りを越したようである。 これがつゆのあとさきの出来た所以である」と述べています。
また,老境を語って, 「巴里には生きながらの老作家をまつり込むアカデミがある....大正文学の遺老を捨てる山は何処に在るか....わたくしは「生活の落伍者」または「敗残の東京人」である。さればいかなる場合にも有島, 芥川の二氏の如く決然自殺をするような情熱家ではあるまい。 数年来わたくしは宿阿に苦しめられて筆硯を廃することもたびたびである。 そして疾病と老耄とは却て人生の苦を救う方便だと思っている。自殺の勇断なき者を救う道は此の二者より外はない。 老と病とは人生に倦みつかれた卑怯者を徐々に死の門に至らしめる平坦な道であろう。 天然自然の理法は頗妙である」と。なかなか荷風らしい言葉ではありませんか。(正宗谷崎両氏の批評に答ふ:昭和7年より)
「つゆのあとさき」は昭和6年,荷風53歳の作品。谷崎潤一郎が「女給ものの集大成」と激賞し, 日本風俗小説の頂点をなすものと目されていますが,「断腸亭日乗」を読むと,この時期荷風は連日カフェに通い詰め, 実地取材^^;;に励んでいたことがわかります。発表当時はかなりの伏せ字があり,たとえば, 「君江はかういふ場合初めて逢った×に対しては,度々馴染を重ねた×に対するよりも却て一倍の興味を覚え,思ふさま××悩殺して見なければ, 気がすまなくなる。いつからこういう癖がついたのかと,君には××××××ている最中にも....」という具合。あとの××××××は 「男に口説かれ」であると知れば馬鹿馬鹿しくなってきますが,この時代,この手の作品を発表することは, たしかに勇気のいることだったのでしょう。
また本書「つゆのあとさき」は,まず題名に味がありますが,荷風自身もこれには苦心したようで,「5月17日,晴,椎の落葉を掃う。 今春2月頃より起草の小説漸く完結に近し。然れども未題名を得ざるなり」と述べ,漸く26日になって, 「小説夏の草を改めてつゆのあとさきとなし草稿の浄写を笄阜氏に話す」と記しています。
1 マクベス(シェイクスピア)
改版。----マクベス早わかり----17世紀スコットランドの勇敢な武将マクベスは, 魔女の暗示にかかり王ダンカンを殺し,悪夢の世界へ引きずり込まれてゆく。シェイクスピア最盛期の作品。 シェイクスピアの四大悲劇とは,これと「ハムレット」「オセロ」「リヤ王」。「ロミオとジュリエット」は違うよ。
2 ゴリオ爺さん(バルザック)
改版。----ゴリオ爺さん早わかり----夢をいだいて王政復古時代のパリに出てきたラスティニャックは, 社交界に出入りし,立身出世をはかる。一方,二人の娘を上流階級に嫁がせたゴリオは, 娘たちに裏切られて貧窮のうちに死去し,ラスティニャック青年は,ゴリオの死を通じてパリの残酷な現実を発見する。 どうもこの作品,昔から「ゴリオ爺さん」という題名で損をしているような気が^^;;。波瀾万丈の物語なのに, のんびりした印象があるから....。
3 近世風俗志(2)(宇田川守貞)
江戸時代の髪型,入れ墨,櫛,お歯黒,男の服装(袴,浴衣など)について図解する江戸時代風俗百科。ポイントは, 江戸,京都,大阪の風俗を比較しているところ。江戸時代版三都物語。
4 幕末明治 女百話(下)(篠田鉱造)
これ,紀田順一郎氏が解説を書いているんですね。 インターネットで探してもミステリー作家としてしか氏の名前は出てきませんが,かつて「黄金時代の読書術」 など多くの若い読書家予備軍におくる啓蒙書に勇気づけられた私としては,もっと「読書論」や「書誌」 で仕事をしていただきたいと思うこのごろ。映画フィルムコレクターでもあり,早くから執筆にパソコンを導入していました。
最近,外国文学が読まれないという。ミステリやSFなどは別として,いわゆるかつて「世界文学全集」 に収録されていたようなスタンダードな名作がダメだという。そういうものばかり並んでいる岩波は「危機感」を感じているかもしれないが, 名作が読まれないというのは,別に岩波の責任ではないし,今に始まったことでもない....。
今回(97年10月14日),岩波文庫よりシリーズとして販売される「わが心の世界文学」40点は,もっぱら「名作」 をラインナップしてはいるものの,なかには他の文庫では読めない面白いものが2点ある。久々の復刊だし,買っておこう!
トリストラム・シャンディ
プルーストやジョイスらの「意識の流れ」派の先駆的作品といわれている。プルーストを読んでめげた人でも, 時の流れがゆったりした遙か昔の物語だから多少は安心。このユーモアは現代人には笑えないが....。変わった小説が好きで, これといったストーリーなしに1000ページ読み切れる自信のある人にはお勧め。
聖アントワヌの誘惑
フローベールがブリューゲルの名画を見て書くことを思い立ったというオカルト・ナンセンス・ハチャハチャ小説。 砂漠の真ん中で修行を続ける聖アントワヌの前に,地獄の帝王サタンをはじめ,シバの女王,魔術師シモン,仏陀,キリスト,ヘラクレス, アポロ,バッカス,ポセイドン,一角獣,スフィンクス,その他大勢が続々と登場して戦う妖怪大戦争。
また,この企画に連動して,10月新刊として次の5点が発売される。
世界文学のすすめ(大岡 信ほか)読書のすすめ(岩波文庫編集部)読書案内(モーム)世界の十大小説(モーム)書物(森 銑三, 柴田宵曲)
またモームか....という感じはするが,このモーム2冊のように岩波新書から文庫へ成り上がったケースは少ない。 電車読書には役立ちそうだ。
ついでにそのパンフレットの中で,新渡戸稲造「武士道」や内村鑑三「代表的日本人」がブームである(「私の好きな岩波文庫101」 フェアが貢献したらしい)といっているが,これは本当^^? 私は全然知らなかった....。
岩波文庫より出た中島 敦の「李陵・山月記」は,以前から持っているような気がしたので,改版ものかと思い手に入れるのが遅くなってしまいました。
この作品集の中で初めて読み面白いと思ったのは,南洋物である小品集「環礁」です。中島の作品に南洋物があるのは,昭和16年より南洋庁の国語編修書記となり,パラオ島にいった経験があるためで,
作品の舞台も日本統治下のミクロネシアが中心となっています。
十数年間子供が生まれなかった島で,神のように育てられているただ一人の女の子と老人ばかりとなった島の悲しい姿(寂しい島)。内地の男が好きな現地の女性とのすれ違い(夾竹桃の家の女)。ナポレオンと呼ばれる不思議な悪童(ナポレオン)などなど。小説というより,印象記といった風ですが,南方の暑い風とは裏腹に,中島の筆は淡々としていて,寂しくひんやりとした心持ちがします。その気分は,当時の日本人と現地人とのクールなかかわりかたによるのかもしれません。
☆文庫本で読める中島 敦 (1997.9)☆
「山月記・李陵 他九篇」 岩波書店
「李陵」 社会思想社
「山月記・李陵」 集英社
「中島敦全集」 筑摩書房
「李陵・山月記」 新潮社
「李陵・山月記・弟子・名人伝」 角川書店
第一次大戦後の動乱の中にあるパリが,悲恋ものの舞台として格好の場であることは疑いないけれど,その裏社交界を描くコレットの 「シェリ」と「シェリの最後」が,最近岩波文庫より続けて出ました。
年老いた高級娼婦とその若き美貌の愛人シェリとの愛欲の日々は,「青い麦」 の作者たるコレットの自伝的要素が強いといわれていますが,若く従順な妻を愛することもできず, 激しい時代の変動に取り残され,退廃と孤独の内に沈んでゆくシェリの姿は,悲しくも魅力的です。
先年,パリのペール・ラシューズ墓地を訪れた際,入り口からすぐのところにあるコレットの墓は,色とりどりの花束が捧げられていて, すぐにそれとわかりました。
☆文庫で読めるコレット (1997/9)☆
シェリ(岩波文庫),青い麦(集英社),青い麦(新潮社)
(その後,残念ながら「シェリの最後」(岩波文庫)は絶版となってしまいました)